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ワインのトリヴィアル・パスートVol.29【 ドメーヌ・ロマネ・コンティ社 】

【 ドメーヌ・ロマネ・コンティ社 】

ロマネ・コンティは、誰もが知っている有名なワインであり、流通価格が最も高額なワインです。
現在の日本での平均流通価格が1本約250万円、世界での平均流通価格でも200万円はします。
畑の所有者は西暦900年頃のサン・ヴィヴァン修道院まで遡ることができます。
そして畑がロマネと呼ばれるようになったのは17世紀中頃のようです。
その後、ルイ15世がフランス国王であった1760年に畑は競売にかけられ、国王の従兄弟であり軍事顧問であったコンティ公と呼ばれるルイ・フランソワ1世と、国王の公妾でコンティ公と犬猿の仲であったポンパドール夫人との競合の末、コンティ公の所有となりました。
以来この畑はロマネ・コンティと呼ばれるようになり、一方怒り納まらぬポンパドール夫人は、ベルサイユ宮殿からブルゴーニュのワインを締め出し、ボルドーのシャトー・ラフィットを晩餐会で提供するようになりました。
それまでボルドーワインはイギリスでは高く評価されていたものの宮廷ではあまり注目されていませんでしたが、このことによりフランス貴族におけるボルドーワインの地位は向上します。
そしてシャトー・ラフィットは、約100年後の1855年のパリ万博でメドック地区のワインの格付けが発表された際、1級の筆頭を獲得します。(1級の中にも順位があり、シャトー・ラトゥールが2位、シャトー・マルゴーが3位です。)
現在のロマネ・コンティのオーナーは、ドメーヌ・A&P・ド・ヴィレーヌ(第8回にブーズロンを頒布しました)のオーナーであるオベール・ド・ヴィレーヌ氏と、1992年に経営のごたごたからオーナーの地位を解任されたマダム・ルロワことラルー・ルロワ女史を叔母に持つ、ドメーヌ・プリューレ・ロックのオーナーのアンリ・フレデリック・ロック氏です。
この二人が経営するのがドメーヌ・ロマネ・コンティ社、DRC社です。
DRC社が生産するワインは、ヴォーヌ・ロマネのグラン・クリュであるロマネ・コンティ(モノポール)、ラ・ターシュ(モノポール)、リシュブール、ロマネ・サン・ヴィヴァン、グラン・エシェゾー、エシェゾーと、白ワインの王様モンラッシェ、それと2009年から造られるコート・ド・ボーヌのグラン・クリュのコルトン、1999年から良年のみリリースされる、ラ・ターシュを中心としたグラン・クリュの若木等から造るヴォーヌ・ロマネ・プルミエ・クリュ・キュベ・デュヴォー・ブロシェ(プルミエ・クリュのワインをリリースするのは1930年代以来)です。
所有する畑の面積は、ロマネ・コンティ1.81ha、ラ・ターシュ6.06ha、リシュブール3.51ha、ロマネ・サン・ヴィヴァン5.29ha、グラン・エシェゾー3.53ha、エシェゾー4.67ha、モンラッシェ0.68ha、コルトンは2.27haです。
生産本数は、年によって異なりますが、ロマネ・コンティで6,000本程度、モンラッシェで3,000本程度と少量です。
少量かつ高額で取引されるためDRC社のワインは偽物事件が後を絶ちません。
堀賢一氏のコラムによれば、「1990年9月にシカゴで行われたクリスティーズのワインオークションの目録に1947年のロマネ・コンティが記載されていた。」との事です。
ロマネ・コンティはブドウの樹の植え替えのため1946年から1951年のヴィンテージまで生産されていないのは有名な話なのですが。
ラ・ターシュは、以前はロマネ・コンティよりも畑は狭く、オーナーはロマネ・コンティの西に隣接するラ・ロマネを所有するリジェ・ベレール家でした。
DRC社はラ・ターシュに隣接するゴーディショというプルミエ・クリュの畑を所有していたのですが、ラ・ターシュを手に入れ政治的な動きにより両方の畑を合わせてラ・ターシュと名乗る許可を得たそうです。
今でも3分割され飛び地として残っているDRC社が所有していなかったゴーディショのプルミエ・クリュの畑があり、ドメーヌ・マーシャル・ド・グラモン、ドメーヌ・フォレ・ペール・エ・フィス、メゾン・ニコラ・ポテル等からリリースされています。
ゴーディショは1万円台で買えますので、私のお気に入りのワインの一つです。
DRC社のモンラッシェ。ボクシングのパウンド・フォー・パウンドではありませんが、赤・白・泡、国・産地、品種、ヴィンテージ、価格、等々に関係なく、すべてのワインの中で1本選べと言われたら、私は躊躇なくDRC社のモンラッシェに投票します。
今や80万円くらい出さないと買えないワインなので飲めるわけもなく、私も1983年と1989年ヴィンテージのたった2回の経験しかありません。
正確に言えば1989年はグラスで飲んだだけなので1回と言うのが正解でしょう。
田崎真也氏の本によると、白ワインは熟成するとその香りはシェリータイプとコーヒータイプに分かれるそうですが、滅多にコーヒータイプに熟成した白ワインに出会うことはありません。
しかしどちらのヴィンテージのモンラッシェも、目をつぶれば、グラスを鼻に近づけることもなくテーブルに置いてあるだけで、カップから湯気がたつカフェオレがあたかも運ばれてきたような錯覚に陥りました。
本によれば、コルトン・シャルルマーニュがコーヒータイプ、モンラッシェはシェリータイプ、そしてピュリニー・モンラッシェはシェリータイプ、シャサーニュ・モンラッシェはコーヒータイプになりやすいそうです。
モンラッシェの畑は、ピュリニー・モンラッシェ村とシャサーニュ・モンラッシェ村とにまたがっています。
ブルゴーニュラヴァーは、どちらの村の畑のモンラッシェかを意識します。
DRC社のモンラッシェは・・・。シャサーニュ・モンラッシェ村です。
コルトンは、プランス・フローラン・ド・メロードからDRC社が2009年から30年間の賃貸耕作契約を結んで生産しています。
借りている畑は、ブレサンド、ルナルド、クロ・デュ・ロワの3つグラン・クリュ。
DRC社は、今は1種類のコルトンしかリリースしていませんが、メロードは畑ごとにワインを造っていました。
また、メロードはDRC社に貸していないマレショードというグラン・クリュの畑を別の作り手に貸していますので、未だに新ヴィンテージが流通します。
DRC社のコルトンは10万円以上で取引されていますので、メロードのコルトンを見つけることができたら、試してみてはいかがでしょうか。
ヴォーヌ・ロマネ・プルミエ・クリュ・キュベ・デュヴォー・ブロシェは1999年以降、2002、2004、2006、2008、2009、2011、2013年に生産されています。
この他に、DRC社はヴォーヌ・ロマネのプルミエ・クリュ、スーショやプティ・モン、白のグラン・クリュのバタール・モンラッシェの畑を所有しますがネゴシアンに売却してしまうと言われています。
ドメーヌでバタール・モンラッシェと手書きされたワインを飲んだことがあるというような都市伝説もたびたび聞きはしますが。
また、サン・ヴィヴァン修道院の跡地の畑のブドウからサン・ヴィヴァン修道院の維持のために、パリの有名なワインショップ「カーヴ・オージェ」と「ラヴィーニャ」用に瓶詰したブルゴーニュ・オート・コート・ド・ニュイという白ワインが存在します。
表ラベルには、カーヴ・オージェかラヴィーニャの文字と共に小さくDRCの文字、裏ラベルには、どういう経緯でこのワインが造られたかの説明があります。
私も15年ほど前に、DRCの手ごろなワインがあると聞きつけ、両方のショップの1999年ヴィンテージを飲み比べてみました。
どちらとは言いませんが片方は大変に素晴らしかったのですが、両者の味わいに随分と差がある印象が残っています。(以前からボトルむらがあると言われていました。)
当時は7,000円程度で購入できましたが今は30,000円くらいの値がついてしまい、これさえもとても手が出せないワインとなってしまいました。