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ワインのトリヴィアル・パスートVol.36【 ロアルド・ダール 】

【 ロアルド・ダール 】

ロアルド・ダール(1916-1990)はイギリスの小説家で、007で有名なイワン・フレミングとも友人関係にあり映画「007は2度死ぬ」の脚本も手掛けています。
日本では著名とはいえませんが、ワイン好きなら必ず知っている小説家です。
ワインは、トリヴィアでも扱った映画タワーリング・インフェルノや刑事コロンボの別れのワイン等、様々なところで扱われますが、ワイン愛好家なら必読とされているのがロアルド・ダールの短編です。
私はワインを扱った映画や本は積極的に購入し見たり読んだりしていますので、手元にこのロアルド・ダールの有名な短編を収録している本が訳者違いで2冊あります。
ダ・ヴィンチコード等の小説で有名なダン・ブラウンの作品を翻訳している私の中高の同級生の越前敏哉氏と会った時に、「一昔前の翻訳は翻訳者の語学能力がどうのと言う前に現地の知識がないための誤訳が多い」と言われたことがありました。
彼は今、エラリー・クイーンの訳し直しを手掛けています。
ロアルド・ダールの短編は、タイトルも1976年に初めて日本語に訳された時は「味」で、その後「ワイン通の復讐」に改められました。(現在は再び「味」に戻っているようです。)
以下、冒頭を引用してみます。

「味」 田村隆一訳
その夜、ロンドンのスコウフィールド家の晩餐の席にいたものは、私たち六人だった。
マイク・スコウフィールド夫妻とその娘、私と妻、それにリチャード・プラットという男。
リチャード・プラットは、有名な美食家で〈食道楽の会〉という名で通っているちいさな集まりを主宰し、毎月、料理とワイン・リストを、会員のためだけに配っていた。また、高級料理やめずらしい葡萄酒などが出る晩餐会を催したりした。彼は、味覚のそこなわれるのをなによりも恐れて、タバコはやらなかったし、話が葡萄酒のこととなると、まるで人間のことでも喋っているような奇妙な、いや、私に言わせれば滑稽な癖があった。
「用心深い酒だね、そう、おずおずしていて、はっきりしないんだ、まるで気がちいさいんだから」こんな具合に言うかと思うと、「愛想がいいね、このワインは、思いやりがあって、気持ちのいい酒だ―ちょっとみだらなところもあるけど、まあまあ、気さくなやつさ」などと、よく言ったものだ。
私は二度、マイク家の晩餐会で、居合わせたリチャード・プラットと会ったことがあるが、そのたんびにマイク夫妻は、この有名な美食家のために、特別料理をさかんにつくったものだ。

「ワイン通の復讐」渡辺眞理訳
その晩、ロンドンのマイク・スコウフィールド邸に集まった私たちは六人。マイク、彼の妻君と娘、私と家内、そしてリチャード・プラットという名の男だった。
リチャード・プラットは有名なグルメだ。「エピキュリアン」の名で知られる小さな協会の会長職にあり、毎月食べ物やワインに関する小冊子を会員に配布している。豪華な料理やめったに飲めないワインが用意された夕食会を催したりもする。味覚が台なしになるからと喫煙を拒否し、ワインを賞味するときには、まるでそのワインが一人の人間であるかのような言い方をする、奇妙で少々滑稽な癖があった。「分別のあるワインですよ」と言う調子―「どちらかといえば、遠慮がちで逃げ腰だが、じつに分別がある」「ユーモアを解するワインだ。情けもありほがらかで、まあ、やや卑猥なところがなくもない。だが、なんといってもユーモアがありますよ」―だ。
マイクの家へ食事に招かれた折、私はリチャード・プラットと二度ほど同席したが、そのつどマイクと奥方はこの著名なグルメにとびきりの食事を用意しようと懸命になっていた。

翻訳家の柴田耕太郎氏の「新・誤訳に学ぶ英文法」の中でこの小説が扱われ、10ページに渡り誤訳の解説があります。
引用した最後の文は、
「私は、二度マイク家の晩餐会に出かけたが、二度ともリチャード・プラットに会った。
マイク夫妻はいつも、この有名な美食家のために、わざわざ特別料理を出すために奮闘した。」が正訳との事。
文法的に正しいのは、「私」と書かれている人は二回しかマイク家に行っておらず、その二回ともリチャード・プラットがいた」、ということだそうです。

多少訳が正確でなくても本筋は変わりませんので、ワインを飲む時のネタにぜひ読んでみてください。
色々な方が訳されているようですが、新しい方が文法はともかくワイン用語が正確ですのでしっくりくると思います。