【 シャトーヌフ・デュ・パプ 】
1309年にローマ教皇庁をアヴィニョンに移すという教皇のバビロンの捕囚という出来事がありました。
そして教皇の夏の居城がアヴィニョンの20kmほど北に建てられ、それがシャトーヌフ・デュ・パプ(教皇の新しい城)と呼ばれるようになり、そこで造られるようになったワインがシャトーヌフ・デュ・パプです。
歴史もあり有名ではありましたが、近年では北部のコート・ロティやエルミタージュと比べると、そこまで評価はされていませんでした。
ボルドーの1982年ヴィンテージを正確に評価したことでロバート・パーカー氏が一躍ナンバーワンワイン評論家になり、80年代後半からアメリカの消費者をバックに力を持ち始めると、期を同じくしてシャトーヌフ・デュ・パプの各生産者が特別なキュヴェを少量生産するようになりました。
そのジャミーで濃いワインにパーカー氏が99点や100点といった高評価を連発したことにより、いまだかつてないブームがシャトーヌフ・デュ・パプに訪れました。
シャトー・ド・ボーカステルのオマージュ・ア・ジャック・ペラン、ドメーヌ・アンリ・ボノーのレゼルヴ・デ・セレスタン、ドメーヌ・ド・マルコーのヴィエイユ・ヴィーニュ、ドメーヌ・ド・ラ・モルドレのキュヴェ・ラ・レーヌ・デ・ボア、ドメーヌ・ドュ・ペゴーのキュヴェ・ダ・カポ、ドメーヌ・ロジェ・サボンのル・スクレ・デ・サボン、ドメーヌ・ピエール・ユッセリオのキュヴェ・ド・モン・アイユル、特別キュヴェはありませんがシャトー・ラヤス等々。
どれも高額で取引されていて、特にシャトー・ラヤスは今ではあり得ない値段になっています。
そんなブームになり始めたころ、一度だけシャトーヌフ・デュ・パプを訪れたことがあります。
レンタカーを借り、移動の途中に時間ができたので、昼に立ち寄ってみました。
町のど真ん中に、ミシュランに載ってはいますが星はついておらずナイフフォークが1つ(豪華なレストランには5つついています)のレストランがありました。
まだランチには早かったので、1時間後の予約を取ろうと、店のドアを開け中にいたマダムに声を掛けたら、「私、英語が苦手なのでゆっくり話して。」と言われました。
英語が得意ではない私が、ヨーロッパでする初めての体験でした。
いざ食事の段になり、連日のレストラン通いで胃が疲弊していたのと、レンタカーを運転しなければならなかったので、「ワインではなく水をください。」と言ったら、マダムが「日本から来て、シャトーヌフ・デュ・パプを飲まないの」と言われ、そりゃそうだと思いハーフボトルを注文しました。
出てきたのはフルボトルで「半分飲んで」と言われました。
食事中に、杖をついた老人が入ってきて何も言わずに端の席に着いたらすぐにワンプレートの皿が出てきました。
そしてその老人は食べ終わったら会計もせずに立ち去っていきました。
なにからなにまで素朴な田舎の町でした。
ワインは、というとあまりに美味しく結局フルボトルを空けてしまいました。
銘柄は、当時日本にはまだ入ってきていなかったヴュー・テレグラフ。
今は、エノテカがインポートしていますので機会があったら是非飲んでみてください。