【 ワインコンサルタント 】
ワインコンサルタントとはブドウの栽培からワインの醸造までワイン造りのすべてを、そしてマーケティング等にもアドバイスをする人のことを指します。
最近は日本に入ってきてないようですが、ザ・ワインメーカーズ・コレクションと言うワインがあります。
このワインは、毎年違うワインコンサルタントに同じ畑の栽培から醸造まですべて任せるとどのようなワインができるかと言う試みです。
実験が行われている畑は、ボルドー地方メドック地区のシャトー・ダルザック。
第1回の2005年がミッシェル・ロラン、2006年がドゥニ・デュブルデュー、2007年がアンドレア・フランケッティでした。(2008年以降のヴィンテージは日本では見かけませんが、2009年以外は毎年生産されています。2008年がステファン・ドゥルノンクール、2010年がエリック・ボワスノ、2011年がゼルマ・ロング、2012年がスサーナ・ボルサ、2013年がンツィキ・ビエラ、2014年がダニー・ローラン。)
http://www.shop-arsac.com/13-the-winemakers-collection
2005年と2006年を飲み比べてみると、果実味抽出タイプのミッシェル・ロランとテロワール重視のドゥニ・デュブルデューの考えがそのままワインの味わいに表現されていて、大変興味深かった記憶があります。
以下、主な著名ワインコンサルタントを挙げてみます。
エミール・ペイノー(フランス)
ワインコンサルタントの草分け的存在で、近代ワイン醸造学の祖と呼ばれています。
ボルドー大学教授。
70年代低迷していたシャトー・マルゴーをオーナーが代わると同時に1978年から復活させました。
また、良質なワインができないと思われていたラングドック地方で、ボルドーのグラン・クリュに比肩するワイン造りを目指したドマ・ガサックに助言し、マス・ド・ドマ・ガサック・ルージュは南仏のラフィットと呼ばれるまでになりました。
因みにここのトップキュヴェはマス・ド・ドマ・ガサック・キュヴェ・エミール・ペイノーと言うマニア垂涎の逸品。
2004年没。
ミッシェル・ロラン(フランス)
エミール・ペイノーの門下生で、ワインコンサルタントと言う職業を確立した、世界で1番有名なワインコンサルタント。
ドキュメンタリー映画「モンドヴィーノ」で批判され話題となりました。
ボルドーのシャトー・ル・パン、シャトー・レオヴィル・ポワフェレ、カリフォルニアのハーラン・エステート、トスカーナのオルネライア、アルゼンチンのクロス・ド・ロス・シエテなど、世界中を飛び回っているフライング・ワインメーカー。
ミスター・メルローと呼ばれ、フランスではサンテミリオンやポムロール等のボルドー右岸の多くのシャトーとコンサル契約を結んでいます。
ドゥニ・デュブルデュー(フランス)
エミール・ペイノーの門下生で、白ワインの法王と言われています。
ボルドー大学教授。
シャトー・ディケム、パヴィヨン・ブラン・デュ・マルゴー、シャトー・シュヴァル・ブラン(赤ワイン)、等のコンサルを行い、シャトー・ドワジ・デーヌ、クロ・フロリデーヌ等を所有。
日本の甲州ワインプロジェクトの醸造コンサルタントも務めました。
2016年没。
ステファン・ドゥルノンクール(フランス)
1990年にシャトー・パヴィ・マッカンで雇われサンテミリオンのグラン・クリュ・クラッセで初めてビオデナミを導入し、1996年にシャトーカノン・ラ・ガフリエール、ラ・モンドット(サンテミリオンのシンデレラワインの代表で1996年がファーストヴィンテージ)のワインメーカーとなり有名になりました。
現在、ボルドーにドメーヌ・ド・ラを所有、カリフォルニアにも畑を購入しドゥルノンクールと言うワイン名でリリースし始めました。
ジャック・ボワスノ(フランス)
エミール・ペイノーの門下生で、ペイノー氏と組みコンサルタントに携わりました。
カベルネ・ソーヴィニヨンを得意とし、シャトー・オー・ブリオンを除くすべての5大シャトー、レオヴィル・ラス・カーズ、ピション・バロン、ピション・ラランド、コス・デストゥルネル、グリュオ・ラローズ、パルメ等々、ボルドー左岸の有名シャトーを数多くコンサルし、メドックの守護神と呼ばれました。
2014年没。
ジャコモ・タキス(イタリア)
スーパートスカーナの父と呼ばれ、イタリアワインの国際化に貢献した醸造家。
1961年にアンティノリに雇われ、1968年にサッシカイア(以前からありましたが、現在のサッシカイアのファーストヴィンテージと言える年)、1971年にティニャネロ、1978年にソライヤとスーパートスカーナを代表するワインを生み出しました。
1993年にアンティノリを退社した後、アルジャーノのソレンゴ、カステロ・ディ・ランポーラのサンマルコ、クエルチャベッラのカマルティーナ、ウマニ・ロンキのペラゴ、サンターディのテッレ・ブルネなどをコンサル。
2016年没。
ルカ・ダットーマ(イタリア)
トスカーナ州のボルゲリ地区で、レ・マッキオーレのパレオ・ロッソ、スクーリオ、メッソリオを生み、その後キャンティ・クラシコ地区でトゥア・リータのレディガッフィ、ポッジョ・ピアーノでロッソ・ディ・セーラ等をコンサル。
2000年には、自らのワイナリー、ドゥエマーニを設立。
リカルド・コタレッラ(イタリア)
2001年にガンベロ・ロッソのワインメーカー・オブ・ザ・イヤー、同年にワイン・エンスージアストのワイン・メーカー・オブ・ザ・イヤー、2002年にイタリア・ソムリエ協会のベスト・エノロジストと3冠を達成しました。
テッラ・ディ・ラヴォーロのガラルディ、モンテヴェトラーノのモンテヴェトラーノが代表作。
甲州を使ったワインも最近日本で手がけました。
アンドレア・フランケッティ(イタリア)
トスカーナ州のサルテアーノと言う無名の地で、テヌータ・ディ・トリノーロを造り一躍有名に。シチリアでは2001年からパッソピッシャーロ、2005年からフランケッティをリリースしています。
ヘレン・ターリー(アメリカ)
ソノマワインを代表するピーター・マイケル・ワイナリーの初代醸造長に1987年に雇われてから彼女のサクセスストーリーは始まります。
1990年に退任してから、自身のワイナリーであるマッカーサンを立ち上げ、カリフォルニアを代表するワインであるコルギン、ブライアント・ファミリー、パルメイヤー等とコンサル契約を結び、ワインの女神と呼ばれるようになりました。弟のワイナリーであるターリー・ワイン・セラーズでもワインメーキングを行い、安ワインの代名詞の品種であったジンファンデルをカルトワインに仕立て上げました。
ハイジ・バレット(アメリカ)
ダラ・ヴァッレのマヤやスクリーミング・イーグルのワインメーカーとなりロバート・パーカーのワイン・アドヴォケイト誌において高得点を連発して一躍有名になりました。
ワインのファーストレディーと称され、ヘレン・ターリーとアメリカにおけるワインコンサルタントの2トップを形成しています。
主なコンサルに、グレース・ファミリー、アミュズ・ブッシュ、日本人オーナーのケンゾー・エステイト等があります。また、自身のワイナリーとしてラ・シレーナ、夫と共同でワインメーカーとなっているバレット・アンド・バレットがあります。
トニー・ソーター(アメリカ)
80年代から90年代にカリフォルニアで活躍したワインメーカー。
ハイジ・バレットが去った後のダラ・ヴァッレやアロウホ、シェーファー等をコンサル。
自身のワイナリーであるピノ・ノワールで有名なエチュードもカルトワインの一つでしたが2001年売却、外部ワイナリーのコンサルも辞し、現在は妻の故郷であるオレゴンでソーターヴィンヤードを経営。