【 シャトー・ムートン・ロートシルト 】
ワインの中で一番ネタの宝庫なのが、シャトー・ムートン・ロートシルトでしょう。
色々なところで語りつくされている感はありますが、私が大好きなワインで私の中では最も多くのヴィンテージを飲んだことがあるワインですので一度はトリヴィアで扱おうと思っていました。(近年のワインの異常ともいえる値上がりで、最近は滅多に口にすることはありませんが。)
ムートンの一番の特徴は、毎年エチケットのデザインが変わるということです。
現在はシャトーでワインをボトル詰めしますが、以前はできたワインを樽でネゴシアンに売るのが当たり前でした。
1924年、ムートン・ロートシルトの当主フィリップ・ド・ロートシルト男爵はシャトーでボトル詰めをすることを決断しました。
他シャトーもこれに追随し、エチケットはワインの産地や品質を保証すると言う重要な役割を持つようになります。
自社ボトル詰めを記念して、男爵はデザイナーのジャン・カルリュにデザインを依頼し、オリジナルのエチケットを制作しました。
その後、しばらくオリジナルエチケットは作られませんでしたが、1945年第2次世界大戦に勝利したことを記念してアートエチケットが復活し現在まで続いています。
因みに、1945年のムートン・ロートシルトは20世紀に造られたすべてのワインの中で最高ではないかと言われている伝説のワインです。
・1級への昇格の1973年。
1855年のパリ万博でボルドーのメドック地区のワインに1級から5級までの格付けが行われました。
4つのシャトーが1級の格付けに、ムートンは2級の筆頭の格付けとなりました。
この格付けは、現在まで変更されていませんが唯一ムートンだけが1973年に1級に格上げされました。
格上げされたこととピカソが亡くなった年であったので、この年のエチケットはピカソ。
この絵はムートンのエチケットのために描いたものではなく、元々ムートンが所有していた「バッカス祭り」の絵を遺族の了承を得て採用したものだそうです。
既製の作品が採用された年は、他には1971年のカンデンスキーのみ。
エチケットには昇格前は『Premier ne puis, Second ne daigne, Mouton suis.』と記載されていましたが、昇格後は『Premier je suis, Second je fus, Mouton ne change』と変更されました。
訳すと、「1級ではないが2級を承諾せず。ムートンはムートンである」から「今は1級、かつては2級だったが、ムートンは不変である」というような感じでしょうか。
・アーティストに依頼していない4ヴィンテージ。
1953年 ナタニエル・ド・ロートシルト男爵のシャトー・ムートン購入百周年記念。
1977年 エリザベス女王がボルドーを訪問した際、シャトーに3日間滞在したことを記念して。
2000年 2000年を記念して、黒のボトルに金の羊をエナメル加工したデザイン。
2003年 ムートン・ロートシルト150周年記念。
・2種類のエチケットがある2ヴィンテージ。
一つは1978年のジャン・ポール・リオペル。2種類の似通ったデザインが候補に挙がったが決めきれずに半分ずつ採用。
もう一つは1993年のバルテュス。絵が幼女の裸がモチーフだったため、アメリカで問題になり絵柄を除いたエチケットを急遽制作したもの。
しかし、毎年絵柄が違うことによりムートンはコレクターが多く、2種類のエチケットを制作すると売れ行きが違うため商業的に行われたという話しもあり。
・日本人アーティスト
1979年の堂本尚郎と1991年の出田節子(セツコ・クロソフスカ・ド・ローラ)の二人。
最後に、アーティストへの報酬ですが、葉山孝太郎氏の著書「ワイン道」によると、自分の描いたエチケットのヴィンテージ5ケース(60本)と好みのヴィンテージ5ケース(60本)だそうです。
でも、このやり方ですとグッドヴィンテージに集中しそうな気もしますが。